鉄杖山

 JR内房線上総湊駅下車。国道に出ると127号線が南北に走っています。   房総丘陵

@岩坂天王山 ○50
 上総湊駅→0.10←階段上→0.05←八雲神社

 上総湊駅下車。国道に出て左折、市民会館の北側にある横断歩道の東側の道路を進む。山裾を縫う道路は
階段に出る。これを登ると上総湊駅東側に横たわる山の上の道路に出る。左へ緩く下る。学校のグランドの角
の分岐を右へ曲がると僅か先右手に鳥居があって八雲神社の境内に入る。立派な社殿の左側には東照宮が
再建された。その付近が高い。天王山だ。岩坂烽火台もこの付近だ。
 更に西側へ踏み跡は続き、住宅地と「かずさの里」の付近で階段上の道路に接続する。この付近が一番高
い。図では●57だ。
 上総湊駅東側の国道交差点を直進すると、この山の南側を道路が横断して数馬へ向かう。道路の最上部に
ある二本目の左分岐を北へ曲がると、八雲神社の表参道に至る。社務所の裏手のカヤ・ツガの木が大き
い。幹周り3.5メートル。

A 薬王寺 オハツキイチョウ

A薬王寺 オハツキイチョウ 十宮城跡 ○50 石切り場跡
 上総湊駅→0.15←国道分岐→0.05←海良踏切→0.05←薬王寺
 海良踏切→0.05←住吉神社→0.10←十宮城跡
 海良踏切→0.15←石切り場跡

 上総湊駅下車。線路に沿って南へ進む。神明神社の南側、三猿像の丁字路を右折。突き当りを左折すると湊
の交差点に出る。こうして歩道の狭い国道を避ける。湊橋には東側にだけ歩道橋がある。不打つ警察署の西
側、道路上にカメラや看板が並ぶ附近で右北側の狭い道路に入る。
 タブノキ 駅南の明神神社境内 幹周り3.3メートル。二本。
 (薬王寺)海良踏切は人と二輪車しか通過できない。バス停十宮(とみや)からの道路が合流して、右へ分岐
を選ぶ。酒造工場の脇を抜けると左側が薬王寺の境内だ。道路を直進すると河口に出る。西側左端には冨士
山が眺められる。
 オハツキイチョウ 高さ18メートル、根回り3.1メートル、幹周り2.1メートル、南北15メートル、東西14メート
ルの枝張りだ。文化九年(1812年)樹齢は丁度200年だといい、葉の先に実がなるという。実の全てではなく、
オハツキの実が混じるというものだ。境内の本堂前、一番いい場所に植えられている。
 磨崖仏 薬師堂の右裏側に床下へ入る木戸があり、中の岩壁に立像1、坐像多数の磨崖仏が並んでいる。
 (十宮城跡)海良踏切から進んでバス停十宮からの道路が合流して、左へ分岐を選ぶ。国道の直ぐ下を並行
して進む。水準点を路面に見た後、薬王寺の墓地からの径を右側に合流させると、大岩がある。住吉神社の
御神体だ。拝殿に繋がる本殿の位置にはこの大きな岩が鎮座する。その奥に小さな岩があり、浅い横穴が
穿たれ奉幣されている。国道の左カーブ箇所南側の狭い歩道には館山33キロポストがある。コンクリート舗
装の斜路があるが、木々の枝と厚い枯れ葉に覆われている。僅か登ると右へカーブしている。左へ緩い斜面
を辿ると、井戸穴(戦国時代の滲水溜め)か(戦時中の)蛸壺が3個並んでいる。もう他家の庭先が近い。左
後ろへ細い踏み跡を辿る。この附近が主郭か櫓台だと思われる。北へ下る尾根筋が繋がり、第二郭を経て
右下に根小屋を見る。北東へ尾根筋を下ると虎口の切り通しの上に出る。国道は僅かに下だが下草が深く
て人は進めない。どなたの御奉仕かわからないが、主だったところは奇麗に刈り払われている。専門家の調
査報告書を拝見したい。
 (石切り場跡)海良踏切の手前、左手に作事みちがあり、これに入る。右下に線路、畑地があり、左手の山道を
登るとわけなく頂部に達する。そのまま階段を下ると横断歩道橋の東詰めに出る。
 海良踏切の手前、民家の庭先を抜ける径、墓地への径でもここに至るが、共にそれらの径は避ける。又、国
道の跨線橋の手前から畑地の脇を抜けても山道に取り付けるが、これも避けたい。
 国道を渡る横断歩道橋の高度差は、かなり大きい。これを南へ渡った右手には階段が登っている。かなり下
生えが多く、数段で通行不能になる。左手には水平な山道が延びている。これを進むと左手分岐があるが、右
へ直進する。
 国道を進んでこの横断歩道橋を見上げる東側は、南側の車道が変に広い。歩道も付いている。その山側の
緑色のネットフェンスの途切れる西端から山の中に入る。小枝一本をかわすと旧坂の上、石の上に根を張った
ケヤキの大株の脇、緩い斜面に出る。このケヤキの裏手から径を辿ると、山裾を縫う水平な径に合流する。右
手は横断歩道橋の南詰めだ。
 沢に沿った踏み跡は広い切開きに出るが、沢沿いの「肩」に径を求める。潅木が多くなり通行しづらくなるが、
山裾側に薄い踏み跡が繋がる。石垣も山裾にある。浅い沢の二俣に出て、その中州を進む。山が迫って谷が
狭まったところ、二俣に出る。南の谷と東の谷だ。南の谷はこの付近から急流を思わせる川筋と、藪に覆われ
て進めない。東の谷左岸には人工の積み石が苔生している。これを進むと更に僅か高度を上げられるが、こ
の辺で径は曖昧になる。この東の谷の先、石切り場があって、四方が垂壁に囲まれた異様な場所に出る。
 鋸山の石切場跡は知られているが、この湊川の左岸各所にも見られる。

A 住吉神社 拝殿に繋がる本殿の位置には大きな岩が鎮座する。

B向山 ○70
 フジザクラ(マメザクラ)という野生種の樹林があって以前は賑わったそうですが、今は「他の木に負けて駄目
だ」ということでした。向山(むかいやま県埋蔵文化財分布地図、角川地名大辞典・むこうやま富津のあゆみ)
フジザクラ樹林として天然記念物指定されていたそうです。 富士桜 落葉低木
 上総湊駅→0.15←湊橋→0.15←向山

 上総湊駅下車。湊橋を渡った最初の丁字路を左折する。周囲は住宅地で、狭い道が右手にある。東電柱海
良59柱が住宅の敷地内に建っている。進むと海良青年館があり畑の中いまどき珍しい太い木の電柱があり街
灯が取り付けられている。その先に大きなビニルハウスが見える。狭い道を見落とすと天神社の急な石段の登
り口の丁字路に出る。これを右折する。暫く進むと右手、山の裾にビニルハウスが見える。海良8柱附近から田
の畦道を進んでビニルハウスの東端を目指す。
 ビニルハウスの脇の径を進むと急斜面でジグザグの後、畑と果樹園の脇に出る。その東外れ、孟宗竹の斜
面の肩を辿る。山道にかわると右下に石切跡の岩壁が見える。笹の径を進み、これを抜けると山の肩、小さな
石祠が転がっている。
 下生えの少ない林の奥が頂上で低い塚状の盛り上がりに石祠と庚申石塔がある。小さい方は三猿と日月だ
けのもので正徳五年(1715年)、大きい方は青面金剛像をその中に刻む、享保十五年(1730年)のものだ。
林越しながら北側に展望がある。山頂には獣径か山仕事道か薄い踏み跡が多数あるが、何れも入らない方が
いいだろう。

B 向山 ビニルハウスの右端から進みます。

C天神山 ○110 (天神山城跡)
 国道127号線、湊警察署の向い側に天神社の由緒書きの看板があります。ここから湊川の左岸の道を進ん
でもいいです。
 上総湊駅→0.15←湊橋→0.10←天神社→0.15←天神山

 湊橋を南へ渡り、最初の丁字路を左折する。天神社の急な石段の登り口がある丁字路に出る。この右側に
は急な車道が並んでいる。都合、下の字型か。石鳥居の先は山道だが、左後ろに登り階段右前に水平路が
ある。これは墓地への路で、参道が季節によって草木のために通行できない時は、これで右へ進んで舗装道
路を歩いてもいい。狭い山道の参道の右下には藪越しに舗装道路が並行しているのが見える。右側に住宅が
現れると広い道路に変わり右折する。先ほど来の舗装道路を右側から合流させる。左に配水場を見たあと道
路は左に曲がると天神社の鳥居が正面に見える。右に穂波駐車場、コンクリートの擁壁。左に附近に住まい
の方の駐車場、北側の展望などがあって境内に至る。
 素木鳥居の僅か外、緩い階段が南の山に向かっている。更に先にある住宅へのものだがこれを登る。直ぐ
に突き当り、これを右へ折れる。水平西向きの径が篠竹のなどの被りが多くて進めない場合、穂波駐車場・コ
ンクリート擁壁間の斜路を登り、合流後右折する。
 右側網の中はどう運んだのかゴミが若干あるのは残念だ。左側に尾根筋のある箇所で左折し、薄い踏み跡
を辿って尾根筋を進む。この附近から頂上までカヤの苗木の葉が体を刺すようになる。僅か登ると溝径に出
る。みちか排水路か堀割りかはわからないが、これは跨いで進む。この附近から尾根筋の「径」の踏み跡と同
じくらいの強さのみち・踏み跡が多数現れる。それらの誘いに惑わされず、尾根筋を出来るだけ忠実に辿る。
左手の盛り上がりがもう頂上だというところ、狭い溝路がある。これをかわして一足登る。屋根のないトーチカ
かと思わせるように岩が切られている。平面的には1.5×2メートルほどの竪穴だ。南西側がやや高く、その付
近では140番台、150番台の番号標が大きめの樹木に取り付けられている。樹木を透かして展望がある。
更に進むと若干下り、切り堀がある。

D岩谷観音堂、鶴峯八幡神社・憩いの丘 ○50
 バス停神田橋は橋より若干東側にあります。
上総湊駅→0.15←神田橋→0.10←天羽高前丁字路

 上総湊駅からのみち、国道127号線、465号線は歩道が狭いので神田橋までの経路は街歩きの経路を選
びたい。神田橋からは南側に歩道がある。バス停神田橋はそのやや東側にある。国道の北側にある狭い急な
石段を上ると、その上に岩谷観音堂がある。行基菩薩が刻んだという石仏のほか多数が並ぶ。堂の周囲の岩
壁には「ヤグラ」が多数開いている。堂の脇から堂の裏側を廻る回廊も掘られている。その壁には多数の像が
刻まれているが、残念ながら風化のため像容はわかりにくい。
 東側には安全に登れる斜路があり、駐車場もある。平成23年末改修され、堂の脇に黒御影石で出来たの由
緒書きの碑がある。各所に手摺りが設置され安全に見学できる。
 赤い両部鳥居が国道に面して一段(数段になる一塊の段道)上にある。鳥居の先正面には鶴峯八幡神社と
刻まれた石柱が建つ。コンクリート舗装の斜路を左へ折れて右廻りに山を回りこむと、民家の玄関前、丁字路
を右折、赤い屋根の社殿の前に出る。社は低い土塁で囲われている。立派な祠もあって、その中には女神像
が祀られている。コノハナノサクヤヒメだがが、御神名の文字は分からない。南側には素晴らしい展望が拡が
っている。
 社の北側には更に北側からの道が合流しており、「憩いの丘」への大きな案内看板が東へ導いている。畑の
北側の道を進んで大きな屋根の休憩舎がある。2001年に開設されその後も地元の有志が手入れされている
公園だ。東側は緩い斜面の先で素晴らしい展望が楽しめる。東側には道路に下る径がある。
 国道を東へ進んだ天羽(あまは)高校前の丁字路を左折する。その角は斜面がセメントで固められ、その横
穴には多数の石塔が並ぶ。細い径が左側に付いている。これを登ると、「憩いの丘」の展望台に至る。
 数馬公民館の先から道路の左側に竹林があり、分岐するコンクリート舗装の車道入口には「憩いの丘・八幡
神社」の案内看板がある。右手に住宅地を見ながら左手へ進むと、八幡神社の社の裏側に出る。右が神社の
参道へ、左は憩いの丘休憩舎へ至る。

C 天神山 住宅地にある古い参道

E妙見山 △118.9
 E−1 妙見山
 上総湊駅→0.15←神田橋→0.15←妙見山

 上総湊駅から神田橋を目指す。これを渡って最初の交差点を右折する。周囲は住宅地で、狭い道が左手、
軒の間にある。東電柱海良108柱の向い、街灯とスピーカーの柱の下だ。道路の周囲は裏庭の脇から農地に
変わり、一軒家の脇を進むと左手から広めの道が合流しているので、そちらへ進む。妙見山の北西の角で、石
造大日如来坐像と記念碑に挟まれて、岩の段径が延びている。
 神田橋を渡って道路を道なりに左カーブする。自動車板金工場の角で右折すると道路は数軒の集落で左折
する。ここで右側の未舗装の道路に進むと左手南側が妙見山で、左手に大日如来坐像と岩の段と記念碑が
ある。
 岩の段道は風化のため中央は斜路状になり苔も生えている。鳥居があり、しばらくは急な階段道だ。尾根径
が二度目の急登をして二度目の水平路になると、十字路に出る。直進はやや急な径で参道石段の下に出る。
右側は緩く左へカーブしながら登って参道石段の右側に出る。石段を登ってもいいが右側に斜路もある。狛
犬、手水石、石の五重塔などがあり社殿がある。覗くと、大菩薩の文字がみられる。妙見大菩薩の文字の下
部だ。右側から裏の高まりへ進められる。用途不明の深い穴が針金一本だけの囲いの中にある。三角点はそ
の東寄り、社殿左後の対角延長上の方向にある。尾根筋は東へ緩く続いている。
 大日像の奉られた岩の段径の右手には戦時中の防空壕か石切り場跡がある。周囲は垂壁に囲まれ暗い穴
も開いている。少し見学するだけで、深入りしない方がいいだろう。

D 岩谷観音堂 このお堂は最近改修されました。一部の部材が新しいですよ。

 E−2 海良古道、居作越(いさくごし)
 上総湊駅→0.15←神田橋→0.25←居作越→0.15=0.10←相川11柱分岐→0.10←
一川橋の西詰め三又→0.10←神田橋

 湊橋又は神田橋から妙見山を目指す。妙見山の登山口には石仏が奉られ、岩の段が刻まれている。これを
左手に見送って「谷の右岸」になる道に入る。左手の山裾に石切り跡の壁を見た直後、左手に未舗装道が分
岐している。
 左手に石切り場跡の池があり、その先には分岐がある。高い石の垂壁とトンネルが見えるが、これらには進
まない。右手へ水平に進む径はやや狭いがマーキングと踏み跡を辿る。再び左手の斜面の径が現れる部分
的に石積みがある。尾根筋は城跡の掘り切りか石切り場の跡か、切り立っている。右手に一段登ったところに
は石祠のあとの石もある。僅か下ると正面の緩やかな下りとは別に、左手に急な下りの斜面がある。急な下り
を降りつくと水田の端の「渡り廊下」に出る。これが完全に途切れているので、左手の墓地の前、瓦の塀の家
の脇など遠回りして下る。東電柱相川11柱の向かいで道路に出る。左北へ戻れば一川橋の西詰めだ。
 一川橋の西詰めから南へ進む。左に熊野神社の社を見た先、相川11柱の向かいで住宅地の道路に入る。
突き当たりは民家の門で、左へ房州石の塀を廻り込む。左側の家の外れに石段があり、登ると石の斜路が繋
がっている。しかし、これが垂直に切られて繋がらない。板橋は外されている。東側瓦の塀の家のほうへ遠回り
して先へ進む。
 斜路には左右に分岐があるが、いずれも直登側を進むと直ぐに尾根筋に出る。左側は緩く下る尾根筋だが
笹薮と曖昧踏み跡で進めない。右手は緩く上って直ぐに石切りの尾根に出る。
 居作越しの尾根筋で西へ辿るのは笹が邪魔をしてできない。これが空いてくると南側の眺めのいい尾根筋
になる。かなり遠いが尾根筋を辿り、広葉樹の藪を抜けると火守神社の前に出る。

 E−3 売津下堰から天神山城跡へ
 上総湊駅→0.15←神田橋→0.15←売津下堰→0.15←尾根筋(仮)売津峠→0.15←天神山城跡

 湊橋又は神田橋から妙見山を目指す。妙見山の登山口を左手に見送って「谷の右岸」になる道に入る。左手
に石切り場跡の岩壁と居作越の分岐を見送って売津(うるづ)下堰右岸に至る。堰をそのまま渡った左岸には
放水口がある。幅広い径は尾根先で分岐するが右側山裾のほうを進む。枝沢左岸の径は源頭部から山崎を
回り込み小さなZカーブから右折して尾根筋に至る。
 尾根筋は南北に連なるもので浅い鞍部で売津からのこの径と丁字路をなすものだ。右手北側へ進む。小ピ
ークは笹薮はじめ下生えの中切り開かれた狭いもので、案内子の訪問時、空き缶ペットボトル等が小枝に挿さ
れていた。大変見苦しく感じた。笹薮の中の径は緩く登っていく。下生えの無い幅広い尾根の「タワ」に出る。南
側西側の展望がいいが緑の山並の中、同定できそうなものは無い。タワの正面は岩の重なる急斜面だが高度
差はいくらも無い。左巻きか直登で進む。やや高い切り堀に出る。(他項で山とし、本項で山城跡としたわけだ)
これを下って対岸へ登る。西寄りにも深い切り堀を構成する岩肌が見えるが、東寄りへ進む。西寄りに進んだ
場合、尾根筋の先は報恩寺南西に伸びる尾根筋、出曲輪群に連なるものだ。浅い切り堀と崩れたもう少し大
き目の切り堀を渡って更に登ると天神山城跡主郭に登りつく。

E 妙見山全景 湊川から

 E−4 南側から天神山城跡へ
 上総湊駅→0.15←国道分岐→0.10←小川(東電柱海良200柱)→0.05←農道右折(海良94柱)
 上総湊駅→0.15←湊橋→0.10←農道左折(海良94柱)
 農道右左折箇所(海良94)→0.20←南北尾根筋→0.10←小鞍部(仮)売津峠→0.15←
天神山城跡     
 ※前項に続き(仮)売津峠と表現することで同じ箇所であることを明確にしました。決してそう呼ばれている箇所
だというわけではありません。

 国道127号線、富津警察署の西側、道路にカメラや看板の建つ位置から南側へ細い道路に入る。左手の山
は向山の西端だ。この道を南へ進む。小橋で川を渡り、右手に住宅と山裾を見る。この道が左カーブするとこ
ろに小川がある。東電柱海良200柱だ。これを見送り更に東へ進む。右手に谷の地形の水田の東側寄りに、
南に向かうコンクリート舗装の農道が登っている。民家の僅か西側、海良94柱のところだ。又、湊橋経由でも
いい。
 水田が尽きるまで未舗装道を進む。山の尾根先には湧水を集めて流す細いビニルパイプが足元に見える。
このパイプの脇の尾根先の小木の枝をかわして尾根に取り付く。急傾斜ではあるが尾根筋に踏み跡が続いて
いる。急傾斜はすぐに岩の尾根でたわむ。その僅か上部で南北に走る濃い踏み跡に合流する。
 左手北へ進むと尾根筋の径になり、笹の濃い道の中に踏み跡が続く。浅い小さな鞍部では下生えは少なくな
り、東側に売津下堰方面への径が分岐している。そのまま北へ登ると空き缶やペットボトルの目立つピークに
出る。以下天神山城跡まで別項参照。
 南北に走る濃い踏み跡に合流した箇所、右手南へ進むと痩せ尾根になり、二本杭形式の標識がある。文字
は読めない。踏み跡は曖昧になり、下生えが勝るようになる。

 「あわ・がいど4」安房古道を歩く「鰒の道・古代東海道房総路を歩く P43、P45−に拠れば、関口から入山
した古道がここに繋がって売津堰に至るようだが、ここの案内子にはこれ以上の案内は出来ない。

F鉄杖山 火の神様 ●192 ●164ピーク
 山頂には質素な社殿があります。「房総山岳志」によれば神社の名前は火守(ひのかみ)神社で奥の石祠は
浅間神社だということです。南側から(西参道、東参道)
 上総湊駅→0.15←神田橋→0.10←橋の西詰め三又→0.15←高野分岐→0.05←相川神社東交差点
→0.10←舗装道終点→0.20=0.15←鉄杖山(西参道、東参道共)
 鉄杖山→0.15←西側の鞍部→0.20←●164ピーク

E 妙見山 登り口の大日像の奉られた階段 左上の狭い岩龕の中 右側が登路

 上総湊駅から相川へ向かう。右西側にやや広い路肩を持った道路は富津竹岡インターチェンジへの道路で、
右折。左南側には相川神社の鳥居が見える。すぐ三叉路があり右へ分岐すると、高野(たかの)集落の西寄り
の丁字路に出る。防火水槽の脇だ。右手の先には高野神社がある。
 (西参道)この丁字路を左折、コンクリート舗装の道路を緩く上る。このコンクリート舗装道路が右Vターンする
と、民家の玄関先で、ここは未舗装の直進方向へ進む。右山の径から棚田の径、段々畑の径になる。害獣避
けの電線には注意しよう。左右に農地だったのが左だけになり山に沿って曲がると山道にかわる。道幅は約
1.5メートルある。右手に段径の分岐がありこれに入る。右山の径から尾根筋の径にかわる。右後から一つ
合流が有った後、鳥居と数段の参道の先に質素な社殿がある。社殿の左脇には未だ径が続いていて、最高
部を越すと左手に大ぶりの石祠がある。明治七年(1874年)の文字が手水石に読める。今もお奉りされてい
る。径はなだらかな斜面の藪の中に消える。
 すれ違った人に伺ったところ、社殿は火の神様で石祠は弁天様だということだ。途中、径の手入れは非常に
いい。草木一本、一葉余計なものはない状態だった。展望は全然無い。この山の奥にはトリカブト(ツクバトリ
カブト)が自生している。シカもいる。害獣の対象はイノシシだという。鳥居の前をその延長のままアオキの藪
の中、浅い窪みを径として辿るとすぐにその三又に出る。左側はマテバシイの低い山頂を経て径が続く。
 (東参道)集落の西寄りの丁字路を右折。左手の先には高野神社が見上げられる。清水1650の標柱の先
で左へVターン、コンクリート舗装の急坂道を登る。最後の民家、庭先の斜路には先ほどと同じ清水1688の
標柱がある。狭い水流脇の溝径の途中左手に柿の木の建つ分岐で左折。この附近までコンクリート舗装だ。
農地の斜面の横道を左へ進むと遺棄水田の脇から竹の脇の山径へ進む。狭い段径が左へ曲がり、竹と杉の
目立つ箇所から右折して幅の広い参道に変わる。左側から西側の参道が合流する。切り株が3つ並んでいる。
この附近、桜の木が多い。
 (●164ピークへ)山頂、火の守神社前の鳥居の前をそれまでの径の延長のままアオキの藪の中、浅い窪み
を径として辿る。その後アオキの藪入口は刈り払われた。妙見山を案内する小さな標識がある。境界杭のある
三又に出る。左側へ折れると、潅木は薄くなり、マテバシイの平らな山頂は下生えが少なく、浅い溝径が西へゆ
るく下っている。ゆるく登る小さなピークを経てやや急な坂を下ると鞍部に出る。ピークの南側を巻いた径も合流
している。笹の勝る西側へ進むと小さなピークを経てまたゆるく下る。潅木を避けてやや右寄りに進むと斜面は
東西の痩せ尾根になる。鞍部には南東側の巻き径、南西側の巻き径、西側の尾根径、北側の峠道などが分岐
している。西側の尾根径を進むと僅かで●164ピークに達する。南西側の巻き径を進むと●164ピーク南側
の尾根筋を浅い溝径が切る位置から北へ直登するとばらばらになった石祠の脇を抜けて●164ピークに達す
る。

 境界杭の三又に出て、右側に折れて藪の中、進み難い。木々をかわして抜けると、見通しのいい尾根筋にな
る。南側の眺めがいい。

G●164ピーク
 G−1 インター入口から ●164ピークへ
 バス停竹岡郵便局→0.20←仲村集会所→0.10←溜め池→0.10←カーブ地点→0.25←●164ピーク

 バス竹岡郵便局前、富津竹岡インターチェンジ入口を東へ進む。インターチェンジ入口で向かい側の道路に
入る。未舗装ながら奇麗な道路だ。溜め池を右手に、更に進むと館山高速道路19号函渠を潜り左折する。道
路は天羽トンネル入口の上部を西へ越えて谷の西側で分岐している。南に向き直った道路は僅か先で尽き、
西側の尾根に取り付く。シイタケ栽培のホダ木が並んでいる。この尾根筋を北へ進む。浅い溝径が並行してい
るが、かえって下生えが多くて歩けないので、溝径の位置を気にしながら東側の一段高いところを進む。登りば
かりだった尾根筋が一旦緩んだ位置には尾根筋を切る溝径が見える。更に直登すると古い石祠ががばらばら
になって転がっている。山頂は僅か上で、二本幹分かれの中木(タブノキ)、北西隅に株分かれの中木(マテバ
シイ)が特徴的なほかは何もない。展望もない。踏み跡もないが、下生えは少ない。東側へ尾根筋で下ると狭
い鞍部に至る。
 溝径を見た位置から右手東へ水平に細い踏み跡を辿ってもこの鞍部に出る。ここからは鉄杖山や●162方
面へも繋がる。別項参照。

F 鉄杖山 相川農村共同館、消防倉庫前附近から

 G−2 倒石碑から ●164ピークへ
 バス停竹岡郵便局→0.20←仲村集会所→0.10←白狐178柱→0.15←交差点→0.10←
倒石碑の分岐→0.25←●164ピーク

 国道127号線、バス停竹岡郵便局前、富津竹岡インターチェンジ入口を南へ進む。インターチェンジ入口から
更に南へ進むと、左手北側に路肩の広いところがある。東へ未舗装道路が取り付いている。東電柱白狐178
柱。未舗装道路は東へ繋がっているが、左後ろにコンクリート舗装道路が分岐している。これへ入る。やや急な
坂道だ。右へカーブするところにはやや小さな新しい石造地蔵立像が立っている。東に方向を戻した道路は左
側に尾根の盛り上がりを見せるようになると、コンクリート舗装は尽きる。その数十メートル先で左側木々の薄
いところから、踏み跡を求めて入山する。東西の尾根筋の南斜面に、東へ緩く登り径がある。斜面の途中で十
字型の交差点に出る。左後ろの登りはこの尾根筋の西寄りのピークに至るもの。右下の径は山裾を縫って奥
へ行くものだが、上空の木々の葉の途絶えたところで草が勝るようになって通行は不能になる径だ。左上へ緩
やかに登ると、尾根筋に至る。僅かな鞍部の地形だ。緩く登ると今度はこの尾根を切る「堀切」に出る。堀切の
右側は先ほどの山裾の径だ。左側は曖昧に切れている。ここは尾根通しで進む。小ピークを経て溝径に合流
する。笹の中に石碑が倒れている。刻字側が下になっているのでわからない。長さ=高さ約1メートル、幅34
センチ、厚み18センチ。
 石碑に近い溝径は尾根先を回る位置だ。北側はやや荒れた急な登りの溝径が尾根先を回り込んだのち、狭
い水平な踏み跡になる。そのまま心細いほど狭い斜面のトラバース径を辿ると痩せ尾根の鞍部に出る。
●164ピーク東側の鞍部だ。尾根先を回り込んだ狭い径のとき、右手側が低い尾根筋のときにこの尾根筋へ
下生えの少ない斜面を登ると、尾根筋には二本の並行した溝径がある。そのまま北へ進み、右手の盛り上が
りを避けて、やや左寄りに進めば、ゆるい下りで痩せ尾根の鞍部に出る。●164ピークへは尾根筋を辿って
直ぐだ。
 石碑に近い溝径は尾根先を回る位置だ。南東側はすぐに踏み跡が薄れてしまう。炭焼き窯の跡を右下に眺
めたところから、左側の斜面を登る。古道の溝径が断片的にある。崖崩れ地形の右岸側に出た附近では左寄
りから上部を目指すと尾根筋に達する。南へ進めば平らな頂上をした●162ピークに出る。東側がゆるい斜
面だが、南右側寄りに踏み跡が続いている。

 「あわ・がいど4」安房古道を歩く「鰒の道・古代東海道房総路を歩く P43、P45−に拠れば、関口から入山
した古道が山を抜けて売津堰に繋がるようだが、ここの案内子にはこれ以上の案内は出来ない。

H 太郎神社 瓦葺だ

 G−3 白狐168柱から ●164ピークへ
 バス停竹岡郵便局→0.20←仲村集会所→0.10←関山(白狐178柱)→0.05←相川分岐→0.05←
白狐161柱→0.05←白狐168柱斜路分岐
 白狐168柱斜路分岐→0.05←東電鉄塔97号下の切り通し
 白狐168柱斜路分岐→0.05←東電鉄塔97号鉄塔案内標柱→0.05←東電鉄塔97号鉄塔下の切り通し
 東電鉄塔97号鉄塔下の切り通し→0.25=0.20←○160ピーク→0.10←●162→0.25←
●164ピーク
 ○160ピーク→0.05=0.10←ガマ石
 ●162→0.10←倒石碑の分岐

 国道127号線、バス停竹岡郵便局前、富津竹岡インターチェンジ入口を南へ進む。高速道の下を潜ってさら
に南へ進む。相川方面への道路を左へ分岐する。狭い道路が左へカーブしたあと、左側にある地滑り痕の空
き地の先、東電柱白狐161柱が左手にある。
 ここから急斜面の藪を入口として「ガマが口をとじて横一直線にラインの入った」露岩・ガマ石まで、迷いやす
く錯綜する踏み跡、急傾斜過ぎる尾根筋を経路として案内していたがこれを取り消す。
 道路を東に進むと右手に斜路が登っている。東電柱168柱。この斜路に入って直ぐ左手に未舗装の狭い路
が水平に取り付いている。すぐに狭い山道になる。径は右山の径から左山の径に変わって、東電鉄塔97号の
下の切り通しに出る。ここで北側の尾根筋へ進む。切り通しは小さく下って左側の道とは別に右側にSカーブし
て下る溝径になって川の上流部に繋がる。
 右手の斜路を見送り更に道路を東に進む。トンネルを抜けると右手に第97号鉄塔を案内する東電の標柱と
鉄杖山他を案内する小さな標識がある。蜜蜂の巣箱の原を右へ抜けて浅い谷から急斜面に取り付く。東電の
鉄塔巡視路とはいえ最近の土砂崩れもあって、張られたロープに頼ってもつらい。左下への岩の溝径を後ろに
右へ進めば切り通しに出る。北側の尾根筋へ進む。左手には第97号鉄塔がある。眺めは良くない。
 小さく上下してトンネル上部の鉄柱の脇に出る。小笹の中に踏み跡を探す。右寄り若干登る方向の狭い踏み
跡を辿ると細いロープが這わされている。急傾斜では無いが、笹竹の中これを辿る。藪を抜けると下生えの少な
いピークの手前に出て左へ進む。笹薮の径から痩せ尾根になると北東方向からの谷の右岸側の斜面が右下に
見える。
 トンネル上部の鉄柱の先、左寄りほとんど水平に曖昧な踏み跡を辿る。三度目の山崎曲がりの箇所はテーブ
ルを思わせる岩の角で、その先で痩せ尾根になる。北東方向からの谷の右岸側の斜面が右下に見える。
 痩せ尾根の正面は藪径、右手は谷の源頭部で下生えが少なく方向はややずれる。
 この源頭部を横断して北へ進む。急登で北側の尾根筋に取り付く。気持ちのいいほど下生えもない緩い傾斜
の尾根筋が西へ続く。
 僅かな藪をかわし細い倒木を跨ぐと広い斜面の東端部に出る。○160ピークの南斜面は幅広い三角形で下
生え無く、大木候補太目の木々が散在している。そのまま頂部を目指す。焦点の位置のピークは狭い。北側に
は径がないと思わせるような急な下りがある。慎重に北へ下る。痩せ尾根が続いたあと、北東側が緩い斜面の
ピークになる。●162ピークの北側の幅広い尾根筋、緩い下りのとき左寄りに分岐する踏み跡は「倒石碑」へ繋
がるものだ。
 平らなピークを幅広い尾根で下っていくと、並行した二本の溝径が現れる。この附近左西側の下生えの少ない
ところでは「倒石碑」からのトラバース径が接近している。踏み跡は右手の盛り上がりを避けて斜面の左寄りを
カーブしていく。踏み跡は曖昧になるが下生えが少ないのが幸いで、僅かな小枝かわしで進められる。尾根筋の
下りになり、狭くなると東西に向き直り、痩せ尾根の鞍部に出る。●164ピーク東側の鞍部だ。尾根筋でそのま
ま西へ登れば僅かで●164ピークだ。水平に西へ進めば●164ピーク南側の尾根筋を横断して更に西へ踏
み跡は続いてはいるが、下生えの中に踏み跡は薄いので。進まないほうがいい。鞍部からは北側にも踏み跡が
続いているはずだが、下生えに隠されている。これも進まないほうがいい。
 ○160ピークの北側は危険な程狭く急な下りだが、南側は幅広い斜面だ。その西側の端を緩く下ると西の平ら
なピークに至る。スダジイの大木もある。その先で西側を南へ緩く下る。下生えの無い斜面に一箇所平らな岩が
ある。その下へ廻ると「ガマが口をとじて横一直線にラインの入った」露岩・ガマ石だ。この下の斜面は尾根筋
の傾斜を強めて登降が危険な斜面なので○160ピークへ戻ること。

H 頂上から細い踏み跡を辿って僅か東へ進むと右下に切れ間がある。慎重に下ると
洞窟に出る。間口約7.5メートル、入口の高さ2.5メートル、奥行き2.5メートル。
成層の岩の風化で奥の天井は低くなっている。左手の床面がやや高い。その左手寄り
から撮影。ここより僅か西側にも大きな洞窟状のオーバーハングがある。

 G−4 天神山城跡方面から鉄杖山へ
 天神山城跡から南へ下ると売津堰からの径との丁字路に出ます。別項にて(仮)売津峠とした箇所です。更
に南へ進むと海良からの尾根径が西側から合流します。南へ進めば鉄杖山へ至ります。(仮)売津峠からの経路
を案内します。
 小鞍部(仮)売津峠→0.05←南北尾根筋(海良94柱からの小尾根取り付きか所)→0.20=0.15←
尾根筋合流→0.20=0.15←鉄杖山

 天神山城跡からの径を下ると東へ奇麗な径が分岐している。売津堰からの径だ。売津堰から登ると左右に
尾根径がある。右は天神山城跡への径だ。ここから南へ尾根筋を辿る。海良からの尾根取り付き部は刈り込
まれ古いマーキングも見える。左手には3センチほどの木杭がある。二本足の標識が腐食したものだ。小さく上
下する径は土盛りした感じの人工的な痩せ尾根を度々進む。その三度目左側に倒竹で埋まった幅広い谷を見
る。その左岸側を登り、別尾根に取り付いて右折する。左左側に炭焼きの窯跡がある。小岩を左へ巻き径でか
わしたのち幅広い尾根筋を緩く登る。マテバシイの株があり、特に15本もの大小の株は根元が相当の太さに
なっている。急斜面になって踏み跡は無いが、下生えも無い。先行者のマーキングを追って太目の木々の間
を進む。
 右手の谷が消え尾根が合流すると急斜面はタワを持つようになり、一息つけられる。二度目の広場のあと尾
根筋の狭まったところには直立したスダジイが太い。幅広い斜面を東へ巻きそうになる箇所で踏み跡こそ無い
が右に杉の植林、左に自然林の植え分かれ附近で右寄りに斜面を直登する。下草はフユイチゴ等背の低いも
のだけで見通しがいい。斜面が緩くなると林越しに簡素な社殿の屋根が見える。踏み跡に出て左へ寄れば分岐
点から鳥居の前に至る。
 復路では鳥居の前を北へ進み、コンクリート境界杭の丁字路で踏み跡が無いのにそのまま北へ進む。これ
が下りかけたところで左へ廻りこみ、杉の人工林と自然林との境附近を北へ進む。左に寄り過ぎると谷の斜面
だ。スダジイを見た先、左側の狭い方の尾根を避け広い尾根を進む。

H 「壁龕分岐」の僅か北側の分岐 トビ岩山と「風早山」の案内標識が中央に。
振り返ると未舗装道が東へ。

H物見塚山 △228.1
 H−1 沢コース
 バス停竹岡郵便局→0.20←仲村集会所→0.10←関山(白狐178柱)→0.05←相川分岐→0.15←
99案内標柱丁字路→0.10←白狐220柱丁字路→0.35=0.30←尾根筋踏み換え→0.15←物見塚山

 上総湊駅と竹岡駅を結ぶバス、上総湊駅発高島別荘入口行き、東京湾フェリー行きバス乗車、竹岡郵便局
下車。館山自動車道、富津竹岡インター入口への道路を東へ進む。高速道の下を潜ってさらに南へ進む。相
川方面への旧道をそのまま南へ分岐する。
 東京電力99号鉄塔案内標柱の丁字路から東へ進む。未舗装道の峠を下ると新道太郎神社側からの農道を
合流させて東へ進む。すぐ右手に丁字路がある。東電柱白狐220柱。奥に別荘があり、そこから右岸の狭い
山道になる。左尾根からの泥土の崩落のため径幅は狭く、径は途切れる。沢が杉の植林とシダ類の平地をな
している箇所に一旦下りて右岸の斜面を目指す。三回のZターンを経て高度を上げる。6回目の右折箇所には
二本の径が並行している。右側を進んだ場合、斜面崩落の頂部からはその続きがわかりにくいが、幅広い溝
径が再現する。左へSカーブして尾根筋を踏み替えて右側に尾根筋を置く径にかわる。
 並行している道の左側を進んだ場合尾根筋に変わり、地すべりの上を進むので崩落箇所はわからずに済
む。浅い切り堀に下ると尾根筋踏替えの位置で合流する。
 じきにその右側の尾根筋を殆んど水平に進む径に変わる。右後ろからは幅広い溝径が合流する。左右に小
ピークの水平な切り通し溝径のとき左の斜面に標識があって左側の急斜面を北へ登ると緩い登りにかわる。
急斜面を一登りすると石碑の建つ塚の前に出る。自然板石に「不二乃大神、大嶽、宝山成行監督」。裏には
「石井権四郎碑」などと彫られている。右手には三角点の標石があり、左手には「参明藤開山」の碑のほか石
が散乱している。
 「安房 古道を歩く」あわ がいど4 では「物見台」220mの三角点と紹介されている。

H 壁龕分岐とした分岐を南に数歩 磨崖仏

 H−2 しあわせ橋から
 バス停竹岡郵便局→0.20←仲村集会所→0.10←関山(白狐178柱)
 関山(白狐178柱)→0.10←稲荷橋→0.10←金毘羅橋南詰め(新道経由)
 関山(白狐178柱)→0.05←相川分岐→0.15←99案内標柱丁字路→0.05←
金毘羅橋南詰め(旧道経由)
 金毘羅橋南詰め→0.10←しあわせ橋南詰め→0.35=0.30←尾根分岐→0.10←尾根の肩(南)
→0.10←物見塚山

 金毘羅橋の南、再び大きな橋がある。しあわせ橋の南詰めに石仏の並ぶ覆い屋の角の分岐を左へ進む。大
谷(おおやつ)橋の先から農地沿いの道は暗い林の中に入る。沢の右岸の道路は高度を上げ、Vターンしてさら
に高度を上げる。左へ曲がって切通しを造る左側の尾根筋には明瞭な登り口が無い。この径が下り始める左
手の藪の中に細い踏み跡があって、これを登る。登った先には浅いが確実な溝径があって、痩せ尾根になって
北へ進む。喬木に覆われて下生えの無い尾根の肩から草で覆われた狭い吊り尾根にかわる。この尾根筋を
北へ進む。最近幅一人分くらいの切り開きがなされてかろうじて通行できるようになった。やや急な坂径を登る
と二本あるタブノキ西よりのほうの脇に上りつく。そのまま尾根筋を北西に辿れば山頂の塚の東側に至る。
 北西への尾根筋を左に巻けば金毘羅橋方面からの径に繋がる。

 H−3 梨沢橋から
 上総湊駅→0.15←神田橋→0.10←一川橋西詰め三又→0.10←相川11柱分岐→0.05←高野分岐
→0.10←相川橋→0.10←岩見堂やぐら入口→0.10←妙蔵寺前→0.05←丁字路(相川111柱)梨沢橋
→0.05←東電柱相川57柱分岐→0.25←尾根分岐→0.10←尾根の肩(南)→0.10←物見塚山

 上総湊駅から梨沢橋を目指す。梨沢橋を渡ると西向きに2本道路があって、手前の道路を進む。すぐ又橋が
あって川を渡り、左岸の道路になる。沿道には民家があるが、右手にコンクリート舗装の道路が分岐している。
東電柱相川57柱付近からこの道路に入る。尾根筋の展望のいい道路にもなる。高度を上げ、道路の頂部に近
づいた所、右側の斜面、藪の中に細い踏み跡があってこれを登る。これを見落とすと右へ曲がりながら切通し
を下る道になる。この付近で右側の尾根へ飛びついてもいいが、明瞭な登り口は無い。登った先の溝径から痩
せ尾根筋になり、北へ進む。喬木に覆われて下生えの無い尾根の肩から草で覆われた狭い吊り尾根を経て山
頂に至る。

H 壁龕分岐分岐を南へ数歩 磨崖仏とならんで馬頭観音像が

 H−4 物見塚山からトビ岩山 ○160 三等三角点風早 △192.8
 物見塚山→0.30←鞍部→0.40=0.35←トビ岩山→0.10←壁龕分岐→0.10←三等三角点風早
 (壁龕分岐→0.05←牧場内の丁字路)

 トビ岩山は相川側から進めば、ほとんどが道路歩きで、僅かな山道で山頂に達する。しかし、牧場で進入禁
止のゲートが固い。
 物見塚山には北側へ向かう標識と確実な踏み跡が下っている。鞍部にはケヤキの大木があり、タブの大木
の脇を緩く下る。小さく上り下りをする。一箇所尾根筋を離れて右下に下る箇所もその先の尾根筋で急坂を避
けただけのものだ。赤色のコンクリート境界杭が現れるようになる。尾根筋が根っこの網状のピークを巻く。小
さな鞍部の左右が深い谷の迫っている箇所がある。西側の踏み跡は倒木で塞がれていたのにその脇に代わり
の径が切り開かれている。割と楽に下って白狐川の支流に繋がる。 この鞍部から岩の急坂になる。上りきっ
た岩の肩は左に小尾根を見送って右へ。次のピークがやはり三方分山で、ここは左北東へ下る。狭い尾根筋
の上下から小ピークを右に巻く。幅広い斜面から右手の尾根に進み左へ鋭角曲がりして北へ進む。尾根筋
が少し開けると尾根の右手の斜面がオーバーハングの岩肌になっているのが垣間見える。その西側を正面
の尾根を左へ巻いて進む。その尾根先を右へ巻いて急な下りの径になる。右に急斜面の迫るトラバース径に
なるが幸い幅はある。その上には急な斜面の下、露岩を見せ、穴も見える。倒木の下を潜って右側からの尾
根先を回りこむところで、その尾根先に登りの踏み跡があり、これを進む。僅かな登りで東西の尾根筋に登り
着く。わりと幅があるが下生えも少ない尾根筋で左折西へ進む。薄い踏み跡が続いている。南側は切れ落ち
た崖の上なので展望がいい。丸いプラスチックの杭がある。この附近の一番高いところがトビ岩山だが標示は
無い。
 小さく下って笹の勝る踏み跡になる。これが開けて水平になると南の急斜面に下る径がある。僅か下ると垂
壁に穴が穿たれ、左は風化した石塔、右はふくよかな表情の馬頭観音像が納められている。それらの左側に
は磨崖仏がある。風化のせいか像容ははっきりしない。ここでは北側へ薄い笹藪を突くとヌタ場に出る。未舗
装道が一直線に東へ向って緩く下っている。ヌタ場に面して西側の笹薮に狭い踏み跡を求めて進む。傾斜を強
めると左へ巻いて笹薮を抜ける。幅広いシイ林の斜面を右折北へ登ると、傾斜を緩め混合林になる。その中央
に真新しい三角点の標石がある。三等三角点風早だ。管理番号だろう、051 698の数字が読める。転がっ
ていた石は風化した石祠の室部と屋根部だろう。脇には北東と西へ繋がる溝径が延びている。植林のため展
望は無い。
 オーバーハングの岩壁の登りは僅かな高度差ながらフリークライミングの技術が要求される。左寄りからバン
ドの下に出て左寄りから細い潅木の幹にも頼って頂上に達する。草の中に18センチ角の標柱がある。周囲の
展望が素晴らしい。西へ下ると西側から回り込んで尾根に登り着く位置に繋がる。又、この頂上から細い踏み
跡を辿って僅か東へ進むと右下に切れ間がある。慎重に下ると洞窟に出る。間口約7.5メートル、入口の高
さ2.5メートル、奥行き2.5メートル。成層の岩の風化で奥は低くなっている。左手の床面がやや高い。
 三角点の南500メートルの標高約190メートルにあるトビ岩山という記述は間違い。三角点の南東250メー
トル標高約160メートル(岩龕の上部の尾根筋)か、南東500メートル標高約150メートル(岩壁の上部)か
に、改めたい。
 トビ岩山の北側、三角点の山の東には奇妙な凹地が展開している。一時牧場や椎茸栽培などがなされたとい
うところで、今は閉鎖されている。この地形は東西数百メートルにわたるものだ。規模の大きな地滑り‐基盤地
滑りの結果生じたものであろうという専門家のご意見だった。この東側、妙蔵寺の更に東、御嶽山の南東側に
も同様の成因だとおもわれる凹地が見られる。

 H−5 尾根コースで物見塚山へ
 金毘羅橋南詰め→0.10←ブロック壁斜路→0.40=0.35←物見塚山

 金毘羅橋の南、102号鉄塔の案内標柱が左手にあるが、そのまま南へ進む。再び大きな橋がある。しあわ
せ橋の北側には幅広い道路が東へ分岐している。その方向は行き止まりだと別箇所に看板のある道路だ。こ
れを北へ進むと直ぐ右側に林道嶺坂山線起点の標識と分岐がある。そのまま広い道路を進むと、この道路の
終点になる。右手の法面の間知ブロックには物見塚山を案内する書き込みがある。セメントの斜路を南へ進
む。折り返して山径になり北へ向き直る。その後一回この法面の上に出て、尾根筋をやや深い溝径で登る。
左手に鉄塔を見る。カーブを繰り返す深い溝径はじきに尾根筋の右巻き径に変わる。尾根筋を乗り越すと幅
広い尾根筋になって広い鞍部に下る。左寄りに踏み跡が繋がる。左右に小ピークの水平な切り通し溝径のと
き左の斜面に標識があって左側の急斜面を北へ登ると緩い登りにかわる。急斜面を一登りすると石碑の建
つ塚の前に出る。
 西側の登路の内では一番いい登路だ。
 金毘羅橋の南、防火水槽の向かい、東電鉄塔102号への案内標柱がある。この案内にしたがって進んでも
住宅地、畑地を抜けた先、林地の中で崩落とそれに伴う倒木で巡視路が痛んでいて進めない状態になっている。

H 法面の間知ブロックには物見塚山を案内する書き込みがある。のりめんのけんちぶろっ、

 H−6 林道厩屋台線から物見塚山へ
 金毘羅橋南詰め→0.10←しあわせ橋南詰め→0.30=0.25←103鉄塔→0.40=0.35←物見塚山

 金毘羅橋の南、再び大きな橋がある。しあわせ橋の南詰めに石仏の並ぶ覆い屋の角の分岐を左へ進む。大
谷橋の先から農地沿いの道は左手に林道厩屋台線起点の標識と東電103号鉄塔案内標柱が並ぶ狭い径が
ある。これを進むとかつて果樹園だったのだろうと思われる下草の少ない斜面の右端を進む。右手にプラスチ
ックの段径が現れる。孟宗竹の林の中の急登の段径を登る。左右にジグザグを繰り返し、直登に変わると鉄
塔の下に出る。
 水仙畑の緑の平地が広く展開している。その左端を進み、杉林の斜面との肩の位置で東へ進む。幅広い尾
根筋になる。下生えは少なく緩い登りの踏み跡を辿る。急斜面になると踏み跡は見えなくなるがそのまま登る。
着いた頂上は割りと平らでやや右寄りに踏み跡を求める。幅広い尾根筋になって広い鞍部に下る。左寄りに踏
み跡が繋がる。左右に小ピークの切り通し溝径のとき、左の斜面に標識があって左側の急斜面を北へ登る。
緩い登りにかわる。急斜面を一登りすると石碑の建つ塚の前に出る。
 この径は上部の急斜面を下る位置がわかりにくいので、始めての下りには勧められない。

 H−7 168柱斜路分岐からトビ岩山 ○160 三等三角点風早 △192.8
 相川神社東交差点→0.10←未舗装道分岐344柱→0.05←96号鉄塔案内標柱→0.05←
97号鉄塔案内標柱→0.05←168柱斜路分岐→0.25=0.20←痩せ尾根分岐32・12標
 痩せ尾根分岐32・12標→0.10←三等三角点風早
 痩せ尾根分岐32・12標→0.10←壁龕分岐→0.10←トビ岩山(尾根筋)

 相川神社の丁字路から富津竹岡インターチェンジへ向かう道路はトンネルの東側で東電鉄塔97号案内標柱
を見送る。トンネルを西へ抜けた先、左手にコンクリート舗装の斜路がある。これに入って直ぐ右手に98号鉄塔
を案内する標柱がある。これに従ってシイタケのホダ木の並んだ脇から98号鉄塔へ進む。鉄塔の北側には
97号鉄塔が遠望される。東の林の中へ進む。幅広い源頭部の斜面を横断し、小尾根を浅い切り通しで越える
こと複数回。左へ回り込んで東へ進むと、左手に低い尾根筋が並行している。南へ向いた狭い尾根の先には
頭部が赤く塗られた杭がある。右へ巻いて進む。水平路は尾根先に出る。左へ折れて尾根筋を登る。また痩
せ尾根になる。32・12のプレートの張られた境界杭がある。
 32・12プレートの杭のところ右へ、水平に進む。道幅は広く水平に進む。高かった左側の山が低くなった頃、
この径は木々が濃くなって進めなくなる。左手の斜面、一段上へ進むと、笹と潅木がまだらに生える斜面に出
る。裸地部分に踏み跡を求めて東へ進むと、平地西側の丁字路と壁龕の分岐を経て笹の中の踏み跡を辿る。
頂上の尾根筋になる。
 168柱斜路分岐→0.25=0.20←痩せ尾根分岐32・12標
 トンネルを西へ抜けた先、左手にコンクリート舗装の斜路がある。これに入って直ぐ右手に98号鉄塔を案内
する標柱がある。これにしたがってシイタケのホダ木の並んだ脇から98号鉄塔へ進む。鉄塔の北側には97号
鉄塔が見える。東の林の中へ進む。幅広い源頭部の斜面を横断し、小尾根を浅い切り通しで越えること複数
回。左へ回り込んで東へ進むと左手に低い尾根筋が並行してくる。前項で※を入れた東へ向いている巻き径
だ。以下が前項による。このルートがこの項では一番分かり易いだろう。

H 東電鉄塔97号案内標柱が南側に立つ。この項を取り消します。進入しないこと。
鉄杖山の腕木が足されました。

 H−8 97号鉄塔案内標柱からトビ岩山と三等三角点風早を目指す
 相川神社東交差点→0.10←未舗装道分岐344柱→0.05←96号鉄塔案内標柱→0.05←
97号鉄塔案内標柱
 97号鉄塔案内標柱→0.10←別荘地上の尾根切り通し

 相川神社の丁字路から富津竹岡インターチェンジへ向かう道路にはトンネルの東側に東電鉄塔97号案内
標柱が南側に立つ。蜜蜂箱の広場を抜けた先、急斜面にロープが張られた表土の薄い岩の斜面を登ると、
尾根筋の切り通しに出る。文字の読めない墓石が納められた石龕の脇から鉄塔の下に行かれる。右側を巻
いたままでもいいが、尾根筋を南側へ進むと小さな尾根筋の切り通しに出る。西側は別荘地の草地だ。
 この先、尾根筋を南へ進むのだが、「径」ではなく、尾根筋とケモノ径を辿って「径を無理に繋げる」不適切な
ルートなので、この項を取り消します。進入しないこと。

 H−9 愛宕堂西分岐から三等三角点風早
 相川神社東交差点→0.10←未舗装道分岐344柱→0.05←96号鉄塔案内標柱→0.15=0.10←
愛宕堂西分岐→0.15=0.10←尾根筋合流→0.10=0.05←三等三角点風早
 愛宕堂西分岐→0.10←愛宕堂

 相川神社の丁字路から富津竹岡インターチェンジへ向かう道路を進む。左手の谷に未舗装道路を分岐させ
たのち、左手に96号鉄塔案内標柱を見て、斜路を下る。
 一回折り返して小川の左岸に出るが、橋は無い。「溝跳び天狗」の術を真似て右岸へ渡る。同じ黄色い案内
標柱が立つ。涸れた溜め池の堰を進んで右岸の山裾を進む。
 左俣の小沢の右岸の径に変わり、プラスチック段径になって傾斜を強める。分岐の左は段径が続いて96号
鉄塔の元に行く。右直進は浅い溝径で更に傾斜を強める。
 尾根筋に出て右南へ進むと小ピークを巻く。肩のピークののち、タワの左手には勝軍地蔵(愛宕堂)へのマ
ーキングがある。これは難路なのでお薦めできない。そのまま岩の脇を巻いて直登すると竹林の径になる。
 直登の竹林を抜けると急斜面を左手に巻く径になる。最近の切り開きなのか最近の崩落もあって、通行しに
くい踏み跡が続く。尾根筋に合流して右へ折れる。登ると赤いペンキの杭を下生えの中に見る平地に出る。右
寄りには浅い溝径がある。更に杉林の斜面を進むと、平地の中に三等三角点の標石を見る。風早の三角点
だ。

H 愛宕堂 愛宕神社とも 勝軍地蔵像ほかが奉られている。

I愛宕堂
 I−1 鳶ヶ谷から
 地元では愛宕さんと呼ばれていました。鳶ヶ谷(とびがやつ)の高台には愛宕堂(県埋蔵文化分布地図)・愛
宕神社(富津市のあゆみP284)があり、愛宕権現の本地仏・騎乗して錫杖を持ち丸い兜かぶった勝軍地蔵
像が奉られています。
 相川神社東交差点→0.10←未舗装道分岐344柱→0.20=0.15←愛宕堂

 相川神社の丁字路から富津竹岡インターチェンジへ向かう道路を進むと僅か先で左側の谷に未舗装道路が
分岐している。(東電柱相川344柱)左手山肌にある東電鉄塔95号への案内標柱とその段径を見送る。現役
か遺棄か、水田の谷を左へ回り込み、幅広い谷の右岸の径になる。(水田を渡る左岸側には前項の96号鉄
塔案内柱から渡った涸れた溜め池の堰に至る)この鳶ヶ谷の奥で、斜面の谷に変わる際を横断する。小尾
根の先に登り口があって、これに取り付く。Zカーブがあって尾根筋に踏み替える。緩い登りが急登にかわっ
た後、狭い台地に登りつく。
 右手の岩壁の下に小屋掛けがある。愛宕堂とか愛宕神社とされるものだ。積み石がセメントで補強された床
面に向拝を飛び出せ、間口二間半、奥行き二間の堂が建っている。祭壇には天明二年(1782年)と読める台
座があり、勝軍地蔵像が奉られている。その脇には金属製の小碑がある。開山甲斐姓清導法師延享四年
(1747年)等と刻まれている。どうの東裏側の尾根の岩壁には小窟(入定塚)があって、やはり開山の石碑が
納められている。
 堂の西側には谷の斜面を渡るほぼ水平の踏み跡があり、V風早への尾根径に合流するが、難路なのでお
薦めできない。堂の東側の尾根筋へも難路の径がある。同様、お薦めできない。
 岩窟堂、行人塚、浅間堂、愛宕神社等の別名があるそうだ。

I 相川農村共同館の裏側に94号鉄塔への案内標柱がある。

 I−2 相川農村共同館から
 相川神社東交差点→0.15=0.10←右折藪分岐箇所→0.10←●107南合流点→0.10←
愛宕堂東尾根→0.20=0.15←尾根筋合流→0.10=0.05←三等三角点風早

 相川神社表参道の階段ではなく、右手にそれた位置に女坂の斜路がある。これに入るとすぐ右へ分岐して
僅か進むと相川農村共同館の裏側に94号鉄塔への案内標柱がある。これに入る。小さくSカーブした尾
根筋の左下には相川神社の屋根が見える。奇麗な径は緩い傾斜を見せている。右手に94号鉄塔のへの径
が分岐し、左手には塚がある。そこには古い石祠が並んでいる。スダジイほか周囲の木々はいずれも太い。
 尾根筋は緩い登りから水平になる。刈り込みのきれいな径は、右へ曲がる。直進側は笹薮状態だ。
 A 右へ曲がった径はすぐ左丁字路になる。ここには小石祠が建つ。今も奉幣されている。ここの直進側は
右岸から登ってきた東電の径で、プラスチックの段が見える。ここで左に曲がる。笹薮に囲まれた刈り込みの
いい径は95号鉄塔の下に出る。左手山手側へ笹薮を突くと僅かな藪漕ぎでピークの肩に出る。●107ピーク
は笹の多い平地で、肩の部分を反時計周りでかわすと尾根を緩く下るようになる。笹を抜けると左側から水平
路が合流している。痩せ尾根になる。
 B 直進側の笹薮には踏み跡が見える。右手に●107ピークをおいた水平路はたまに倒木があるが、笹薮
はそんなに濃くはないので上下にかわした先で、径の延長に出られる。笹を抜けると尾根筋に合流する。右手
が高いが踏み跡は曖昧で笹が見える。左へ尾根筋を下る。
 尾根筋は浅い鞍部を経て急登の岩の目立つ径になる。右へ進むと尾根筋が繋がる。緩やかな尾根筋が急
登気味になる箇所、右手に幅広い水平路が分岐している。愛宕堂への分岐だ。幅広い水平路より一段下の
狭い踏み跡を辿ったほうが楽に愛宕堂東寄りの小尾根に繋がる。
 尾根筋は急登になり、岩壁の舳先の下に出る。岩壁の下、僅かな幅のトラバース径を右へ進む。左手の壁
にロープが二本垂らされた位置でこのトラバース径は尽きる。左手の壁をロープと僅かな足掛かりに頼って登
る。10メートルほどだろう。尾根筋はやや急で踏み跡はない。下生えが少ないのは幸いだ。この傾斜が僅か
に緩んだところ、右手の斜面から緩く登ってくる踏み跡が合流している。尾根筋は更に傾斜を緩めて踏み跡も
時々現れる。登ると赤いペンキの杭を下生えの中に見る平地に出る。右寄りには浅い溝径がある。更に杉林
の斜面を進むと、平地の中に三等三角点の標石を見る。風早の三角点だ。

J天羽の古道
 竹岡から上総湊までは狭い海岸に沿って国道と線路が並行しています。白狐川と湊川の中間、天羽トンネル
が館山自動車道を通している山並みにはかつて古道が通り、南北に行き交っていました。
 J−1 不通の古道 海良の黒破線 海良200柱
 国道127号線、富津警察署の西側、道路にカメラや看板の建つ位置から南側へ細い道路に入る。左手の山
は向山の西端だ。この道を南へ進む。小橋で川を渡り、右手に住宅と山裾を見る。この道が左カーブするところ
に小川があり、その右岸の道に入る。海良200柱が近い。奥に水田があり、未舗装道の小橋を渡って谷の奥を
目指す。最奥の水田からは川の左岸の径は下生えが勝り、通行できない。
 最初の小橋を渡ったところに長尺物を納める屋根掛けがあり、ここで左分岐に入り水田の脇を進む。右寄り
に進むと小川の右岸の径になる。下生えが勝って通行できなる前に、左手の緩い斜面に複数、踏み跡が登って
いる。いずれも獣道ほどで、いずれが奥に通じるものかは判断できない。
 J−2 不通の古道 海良200柱 カーブミラーから
 海良200柱の分岐から東へ数歩進んだ箇所にカーブミラーが建つ。ここで南側へ水田の道に入る。二又は
右西側。傷んだセンリョウ小屋の山裾側を進むと、径は二分する。左へ進む。溜め池の左岸側の径になる。
滑滝の脇右岸側の径は二つ目の溜め池の左岸を進む。その後径は倒木と地滑りか曖昧になり、下生えも増
えて進めなくなる。谷は●164の東側の鞍部に繋がる地形だ。
 J−3 不通の古道 竹岡の黒破線 森戸166柱、陣屋支30柱
 バス停竹岡郵便局前から東へ道路を進む。富津竹岡インターにつながる道路だ。JR内房線を潜ると左への
分岐がある。これを左折し道なりに東へ進む。右手に丁字路を合わせたわずか先に、北へ折れる未舗装道路
が取り付いている。東電柱森戸166柱、陣屋支30柱。水田の脇の道は三又に出る。直進方向の道は下生え
が深くて進めない。右折の道はすぐ水田の外れで尽きる。ここで東側の山肌の踏み跡を辿る。沢筋なのか溝径
なのか、これを進むと右手の桧杉の植林地に至る。新しい石祠が下生えの中に転がっているが踏み跡は消え
る。
 直進方向の径は休耕田の谷右岸を進む。葦の原になって径は曖昧になる。
 地形図の黒破線とは異なり進めない。    房総丘陵