船塚山

全般 船塚山 △152.2          房総丘陵
 船塚山山頂の船塚神社からは西側に素晴らしい展望が開けています。案内標識の文字は「船」と「舟」とがあ
りますが、ここでは全て「船」とします。
 船塚山のサクラ ヤマザクラ 船塚神社の鳥居の近く。高さ12.3メートル、幹周り3.64メートル、樹齢約
100年。
 賀恵渕(かえふち)の大シイ 八坂神社には平地では珍しいスダジイの大木があります。
 白山神社では前方後円墳が見られます。
 圏央道が開通しました。これに接続する国道410号線のバイパスの工事と旧道との取り付き改良も終わり
ました。それでも旧道の方は歩道もなく路肩も狭く、道幅一杯の大型車が通行する危険な道路です。道路通行に
は充分気をつけたい。

@ 船塚山 船塚神社 境内から鳥居とヤマザクラ

@東口参道から
 下郡駅→0.20←飯高神社裏分岐→0.10←林道山本線分岐→0.10←船塚山

 JR内房線木更津駅乗り換え、久留里線下郡(しもごおり)駅下車。無人駅で新しいトイレと待合室がある。北
寄りで東に折れて国道に出る。木更津市と君津市の市境の標識が上にある。駅入口を示すものはないので復
路に利用するときは注意したい。国道を南へ進んだ左手に、船塚山と殿の下井戸を案内する標識が左側へ分
岐する道路の両側にある。左手に湧水の溢れるパイプと「殿の下井戸」の説明看板があり、この水を汲む人が
絶える事がない。その道を進むと右手に同じ設備と看板がある。この二つめの井戸の十字路を左折する。道路
は右へカーブして有線放送柱の建つ丁字路に出る。ここでも左折する。
 国道410号線のバイパス山本の十字路から東へ進んだ旧道の押しボタン信号十字路には船塚山の標識が
ある。東へ進んだ道路は右へカーブしたのち二回左へ折れる。共に案内標識がある。角の民家の敷地内のケ
ヤキが太い。北へ向いた道路は有線放送柱の建つ丁字路に出る。ここは右折する。
 住宅と畑の並ぶ分岐に出る。林道山本線と辛うじて読める古い看板と東口参道の標識を見て右へ進む。緩
い登り坂の道路になる。
 コンクリート舗装道路の登り坂が右側に分岐しているところが飯高神社への分岐で、そのあと右後から未舗装
道路が合流する。同じ場所からのものだ。上空に高圧線の見えるところで右下へ林道山本線が分岐して下
る。西口参道からの道路だ。これまでは、アスファルト舗装とコンクリート舗装が入れ替わる道路だったが、コン
クリート舗装のやや急な道路になる。平成になって記念植樹をしたという記念碑があった先、右手に神名の石
碑の並ぶ径があるのだが、取り付きは崖で、上り下りは出来ない。鳥居の先に船塚神社と船塚山荘が並び、
右手には展望台がある。西側は素晴らしい眺めだ。舗装道路の左側にはトイレもある。道路の先は広い駐車
場に繋がる。駐車場は未舗装で、桜やツツジの公園だ。駐車場の縁を右回りに進むと三田浅間山への径の入
口がある。

A飯高神社参道から
 下郡駅→0.10←参道入口→0.15←飯高神社裏分岐→0.10←林道山本線分岐→0.10←船塚山

 下郡駅から国道を旧道で南へ進むと、左手に白い大きな鳥居がある。季節が合えばイチゴの販売場が開か
れる場所だ。東へ進むと赤い両部鳥居があって、神額は飯高神社だ。左側には山本青年館があり、ここにも井
戸水が流れている。参道は住宅地を抜け、周囲は林になる。石段の下では左側に溝径があるが、倒木で通行
出来ない。石段は湿潤した急なものだ。足の運びに注意しよう。
 飯高神社の拝殿の中では大きな絵馬が見られる。本殿は覆い屋の中にある。周囲には石祠も散在し、庚申
像もある。左へ水平な道を進むと十字路に出る。左は石段の下で見た溝径に続く。直進は林道山本線に合流
して下郡駅方面に繋がる。右側は未舗装道に変わってやはり林道に合流して船塚山へ至る。
 国道は道路幅が狭く、路肩も狭い上に土砂と雑草で塞がれている。十分注意したい。

C 三田浅間山登り口 参道の石段

B西口参道から
 下郡駅→0.10←飯高神社参道→0.10←圓明院→0.20←林道山本線分岐→0.10←船塚山

 遠くからでも赤い建物が山の中腹に見える。圓明院の鐘楼だ。その北側に参詣者用の駐車場があり、更に
北側の細い道路には船塚神社の西口参道の標識がある。住宅地を抜ける道路は房総古木珍木の看板を見
せたあと、林の中の道路になる。左右にカーブを繰り返す道路は高圧線鉄塔の脇を二回抜け、船塚山への道
路に取り付く。舟塚山へは右南へVターンする。
 圓明院の境内、鐘楼の脇には巨樹、大カヤがある。高さ18.6メートル、直径1.6メートル、幹周り5.1メート
ル。

C小櫃駅、三田浅間山から  ○140 
 小櫃駅→0.10←三田青年館→0.15=0.10←浅間山→0.15←船塚山

 小櫃(おびつ)駅下車。無人駅だが駅舎も駅前広場もあり、公衆電話もトイレもある。南側には行政センター
の駐車場がある。駅前から国道に出て左北へ進めば、三田(さんだ)交差点だ。更に北側の押し釦信号で右
折する。左手に赤い両部鳥居があり、神額は富士嶽浅間大神と書かれ、船塚山を案内する標識もある。右側
の建物は三田青年館だ。急で高い石段が一直線に延びている。これを登る。
 ゆるい坂道をゆったり進むと再び石段が現われる。数段登った上には右側に建物がある。開け放ちで扉にガ
ラスも障子紙もないもので、休憩雨宿りにいい。お籠もりに使用されたものだ。更に右側には巻き径もある。更
に石段を登ると玉垣に囲われた石祠がある。石祠の側にも玉垣の石板にも彫刻がみられる。小御嶽大神の
石碑も一段低いところにある。
 この石祠の脇から北側へ抜ける道があって僅か下ると右側から巻き径が合流する。この付近は太目の木が
多い。北へ進むと石祠があって、ここは右へ進む。その後要所要所に船塚山を案内する標識があるので迷うこ
とはない。径はほとんど緩い下りだ。これが登りに変わると、駐車場になっている広場に出る。左へ進む。大き
目の石碑、トイレなどを見ながら進むと、コンクリート舗装の道路になる。左手に神社があり、西側は素晴らしい
眺めだ。

D八坂神社
 小櫃駅→0.20←八坂神社

 小櫃駅下車。駐在所の前の道を南へ進む。この道路は西へ向き直って踏切を渡る。南側だけに歩道があ
る。新道の410号線の交差点の先、十字路で右折する。すぐ細い道路へ左折する。西へ向いていた道路は
右へ向き直って北へ向いたところこんもりとした木がある。これが八坂神社賀恵淵(かえぶち)の大シイだ。
浅間神社の石碑のほうが目立つ。目通り8.5メートル、樹高20.7メートル。枝振りがすごい。東は16.3、
南は21.0、北は12メートルだ。西側そんなにはない。そこには八坂神社の社殿がある。幹の太さほどの枝
がほとんど水平に延び、上方にも伸びている。二十三夜堂と児童公園もある。

E 上新田浅間山全景 左端の赤いものが鳥居 参道になっている

E上新田浅間山  ○90
 俵田駅→0.05←消火水栓→0.10←浅間山
 俵田駅→0.05←消火水栓→0.05←表参道→0.05←浅間山
 俵田駅→0.05←丁字路分岐→0.10←蓮池の東分岐→0.05←右分岐→0.10←浅間山

 俵田(たわらだ)駅下車。無人駅で新しいトイレと待合室がある。ホームの北側から外に出ると駅舎跡と推測
される空き地と駅前広場がある。ホームを南寄りへ進んで踏切を渡る。水田を抜けた北東側の山裾の住宅地
を右折する。すぐ左に防火水栓のある角で左折する。小さな地蔵堂の先に墓地があり、小さな建物がある。西
行寺の堂だ。左側に墓地が広がり、二つめの堂がある。ここで右折して先ほどの堂の山側の道を抜けると、
山へ向かう溝径があり、これへ入る。
 溝径は登り始めてすぐ太目の木の倒木のところで、左に分岐を持つ。ここでは反対側右側の斜面を登り、正
面にあった溝径の肩に踏み跡を求める。石神様の祠、線刻の像の祠を左手に見送って先へ進むと上新田(か
みにった)浅間山山頂の浅間神社に出る。拝殿は素通し状態で大きな屋根が覆っている本殿は意外と小さな社
だ。
 消火水栓の角を無視して道路を進むと、左手に赤い鳥居があり、数台きりの駐車場と説明看板がある。前
方後円墳があって浅間神社が後円の位置で、前方を貫くのがこの参道だという。急な石段を登り、これが斜路
に変わる。右側の林の中に延宝二年(1674年)の文字の読める神像がある。僧形八幡神像だ。このすぐ北側
が左右にラインを引くように地形が盛り上がっている。これが「前方」のラインだ。浅間神社の左側には前述の
径があり、右後にも踏み跡が繋がっている。
 俵田駅からホームを南寄りへ進んで踏切を渡る。水田を抜けた北東側の山裾の住宅地を左折する。すぐ右
折して住宅地の道を北へ進む。再び三又を右へ曲がる。園地があってベンチと蓮池のある箇所を進む。(にっ
た生美の里)左手に合流する形の分岐がある。俵田243柱のところで、コンクリート壁の下を西へ進めば壬
申山へ至る。ここは右へ舗装道路を南東へ進む。右手に分岐があってこれに入る。(俵田240柱)養鶏場の脇
を直進すると林の中の径になる。これが右へカーブして緩く下る。分岐を右へ狭い登り径に入ると浅間神社の
社殿の脇に出る。分岐を直進すると参道の途中に合流する。

F白山神社と古墳 小櫃山 ○60
 俵田駅→0.20←白山神社→0.10←壬申山分岐→0.05←小櫃駅

 俵田駅と小櫃駅のほぼ中間、国道に面して白山神社の参道があり、鳥居の南側には参拝者用駐車場とトイ
レがある。随身門には立派な神像がある。社殿の右側に奇麗な道が一段上へ伸びている。前方後円墳基
部の高さの「山」で、先ほどの社殿は「前方」更に南の位置だ。後円の方へ廻り込むことができる。北側は草刈
が甘いが一周して社殿の左側に降りられる。
 俵田駅から国道に出た交差点北西角には、高さ1メートル余の笠付き石幢が建っている。元禄二年。(1689
年)一辺が20センチほどのもので、六地蔵が彫られ、余白は道案内だ。

E 上新田浅間山 新建立なった赤い鳥居の脇 参道の石段が一直線に延びている。

G壬申山 ●98  館ノ内城跡 ○80
 小櫃駅→0.05←国道分岐→0.05←丁字切り通し→0.05←浅間社鳥居→0.05←石塔覆い屋
 小櫃駅→0.05←壬申山分岐(国道分岐)→0.10←小櫃小学校正門→0.05←館ノ内城跡配水場
→0.05←飯縄神社入口

 小櫃駅下車。国道を南へ進む。この国道が右へ曲がる所、押し釦信号のある道路を東へ進む。左手に
は水路が並行している。北東に向き変わった所に右下への分岐がある。無名の橋で御腹川を渡って左右山の
道になると左手に切り通しがあり、これに入る。すぐ右側に石段が見える。石段の上は庚申像の覆い屋があ
る。石段の下を左へ進むと右へ曲がりながら石鳥居を潜る。右へ段径を登ると浅間神社の文字のある石鳥居
の下に出る。南側は幅広い参道で、その先には大きな石鳥居、平成21年3月に改築なった飯縄神社の社
殿、新しい狛犬、二十三夜勢至堂・金毘羅宮の建物などがある。西側は舗装道路が取り付いている。北側の
浅間神社の鳥居を潜る山道は僅かな距離で浅間石祠に至る。その鳥居脇の左側の山道は右手に浅間祠の
裏を緩く下り、東へ進んで尾根を登る。右手がまだ高いが左手よりに小屋が見える。石塔の覆い屋で大正
五年(1916年)の文字の読める線刻の菩薩像がみられる。左手の石像は風化が進んで文字が読み取れな
い。末吉村の講のものだ。
 左手に切り通しを見た舗装道路をそのまま進むと右に鶏舎、左に倉庫を見たあと、道路は左手に分岐する。
すぐに浅間鳥居の下に出る。又、この左手への分岐を見送り、右側の直進は未舗装になるが、右下に蓮の池
を見て舗装道路に合流する。左へ進めば下新田浅間山方面で、右は俵田駅方面だ。
 小櫃駅下車。国道を南へ進む。国道が右へ曲がる箇所、水路に沿ったコンクリート道を西へ進むとヤマモモ
の大木を敷地の外から眺められる。国道を更に南へ進むと、小櫃小学校前の横断歩道橋がある。東側の坂
道を登ると正門に至る。校内にはスダジイ、ケヤキ、ヒマラヤスギの大木がある。敷地の南端、プールの脇か
ら道路を進んで小櫃配水場の前から、その塀の右側を進んで奥の平地に出る。東へは幅のある山道が緩く
下っている。右側の斜面が緩い傾斜だ。下りきると舗装道路に出る。左手僅かなところに飯縄神社への看板
があり、東へ分岐してその境内に至る。
 配水場のピーク一帯が館ノ内(たてのうち)城跡(城跡報告書で○75)だという。

H 久留里駅下車。国道を北へ進んで高等学校よりも更に北へ進む。久留里線の
踏切の手前、押しボタンのある横断歩道のある道で右折するのは熊野神社への
道です。その手前、右側に大きな石塔があります。これは宝篋印塔です。四隅の飾りは
完全に破損しています。塔身部に宝篋印塔と刻まれています。奥の建物は弁天様で
神式で祀られています。参道の奥、左手にはスダジイが大きい。右手には倶利迦羅
不動像の奉られた湧水があります。その上は大日堂不動院だそうです。

H箕輪山 ○120
 山本来としてのものは採取場の為にもうありません。西側から眺められる久留里線、国道410号線からは
緑の山並みが続いています。
 俵田駅→0.05←消火水栓→0.05←浅間神社表参道→0.15←熊野神社参道
 久留里駅→0.20←国道押しボタン歩道→0.05←五叉路→0.10←熊野神社参道
 熊野神社参道→0.15=0.10←尾根の分岐点

 俵田駅下車。南へ進んで踏切を渡る。水田を抜けた北東側の山裾の住宅地を右折する。消火水栓のある分
岐を無視して道路を直進。左手に赤い鳥居と駐車場がある。上新田浅間山、浅間神社の参道だ。ここで左折、
山裾を進む道路を選ぶ。地蔵像の覆い屋もある。左手に一台きりの駐車スペースを持ち、U字溝を逆転させ
た段径と急なコンクリート斜路を参道とした阿弥陀堂がある。これまでの道路が右へ曲がる位置左手に、熊野
神社の参道がある。
 久留里駅下車。国道を北へ進んで高等学校よりも更に北へ進む。久留里線との踏切の手前、押しボタンのあ
る横断歩道のある道で右折する。五差路では山裾を巻き径で進む。この径が住宅地に入ると右手に熊野神社
の参道がある。
 参道の右側には石段、左側はコンクリート斜路だ。これへ進んでわずか下ると、未舗装道が分岐している。そ
の先には広い未舗装駐車場ないし草原の広場がある。この未舗装道路との分岐の間に細い踏み跡があり、こ
れへ入る。踏み跡はすぐ二分する。右側は古くからの径なのだが狭く曖昧な径になってしまっている。左側は草
の被りを避けると幅広い径が現れる。左斜面の径を西へ進み、一回右に折り返してやや傾斜がきつくなると尾
根筋の分岐点に出る。東側が本来の箕輪山、旧社殿の位置に繋がる筈の径だが、通行止めにされ張り渡され
たロープと生い茂る草が通行を阻んでいる。北側が砂利採取場でその上部の肩に出る危険な山径になるだけ
で進めない。この尾根筋の分岐点を限度としたい。左西側は西側と北側に未舗装道路が分岐している。西へ
進むと畑地と民家があり、舗装道路なる。上新田浅間山を北側から目指したときの左手分岐(俵田240柱)に
つながる。

I山本由那城跡 ○60
 下郡駅→0.15=0.10←主郭塚
 下郡駅→0.10←堀切(ア)

 下郡駅下車。東へ進んで国道を渡る。並行して北へ向かう道路に東からの小尾根が迫っている。その北側
に小径が掘られていて、これを急登する。右手に斜面の肩を進む踏み跡が明瞭になる。この径が入りぬくい
場合は更に北側のコンクリート斜路を上がると、手入れのいい墓地がある。この墓地の右脇を進むと、前述
の踏み跡と合流する。
 左寄りは北尾根の平地だが下生えが多い。太目の木々も多いが、クスノキの大木は幹周り4.2メートルにも
なる。平地の右端の肩が下生えを避けて東へ進める。西尾根の根元が接近する。スダジイの大木幹周り4.5
メートルの塚には小石祠が計3基祀られている。比較的新しいもので1基は今も奉幣されていた。
 これが主郭aだが南側の尾根の曲輪dや堀切イを経て東支尾根の曲輪c方面へは倒木倒竹のため進めな
い。クスノキの曲輪bの西肩附近には赤道が下から続いていたという話だった。
 下郡駅から国道を南へ進むと直ぐ左手に船塚山と「殿ノ下井戸」への道路がある。これに入ると左手に斜路
がある。この上の私墓地のもので、入ると右手にもう一本斜路がある。右隣の私墓地に斜路を踏み替える。
 小笹に囲われた幅広い水平路が山の中腹を南東に進んでいる。左手は孟宗竹の倒竹の西尾根だ。この尾
根には鞍部、堀切アがあり、その先から主郭aの端部に接近できる。しかし倒竹と下生えの中の進行は無理
だ。
 殿ノ下井戸とその先の墓地との間から枯れ葉の斜面を登っても鞍部、堀切アの付近の水平路に達せられ
る。
 君津市史P258山本湯名城跡の表記、abcアイウを引用した。

I 殿ノ下井戸附近から この右側に径がある。

J戸崎城跡 第六天神社 ●45
 俵田駅→0.05←新国道交差点→0.10←岩田橋南交差点→0.10←参道→0.05←第六天神社

 俵田駅下車。西へ進んで旧国道に出る。その交差点の北西角には石幢六地蔵と記憶遺産という看板があ
る。この石幢が道標だという。是より北は江戸おか道 是より西は江戸ふな道 と刻まれているというが、風
化が進行しているのは残念だ。
 新道410号線バイパスの交差点には新たに物産店が開店している。この附近から西側の道路が広い。岩
田橋南の交差点は県道で右折、北側へ進む。上り坂の道路の右側に未舗装道があって、西側の分岐から
来る道路に出て東へ右折する。左側の山には滲み水を溜める穴がある。
 コンクリート舗装の急坂の斜路が参道で、赤い鳥居を潜って右手の石段を登ると、右側に並行していたもう
少し傾斜の緩い道路を合流する。山の肩を東へ進み二つ目の鳥居で左手の石段を登ると第六天神社だ。
 この附近が戸崎城跡だという石標も建っている。周囲には太いスダジイが複数あり、古い石祠も多数並ん
でいる。
 社殿の裏手に北へ向かう土手路がある。右手は一段低く、起伏する孟宗竹の林。左手は空堀を隔てて民
家と農地が見える。この土手路が右へ曲がって竹林の中に入る。円周状に空堀で囲われた平地の路が尽
きる。これが戸崎城跡の虎口で、社殿の位置は物見だということだ。

K碇台不動尊 (○90)
 俵田駅→0.05←新国道交差点→0.10←岩田橋南交差点→0.05←不動尊入口丁字路→0.15←
碇台不動尊

 俵田駅から西へ進み、新国道交差点、岩田橋南交差点へ進み、更に直進すると坂を上って丁字路になり、右
折する。北へ進むと碇台不動尊入口、碇台不動様入口の案内標があり、この丁字路を左折する。
 民家と農地の平地になり不動尊像と青面金剛像の奉られた小堂の二又は左へ進む。左へカーブした道路
はケヤキの喬木の下で右へ急カーブする。最後の民家のあと、切り通しを抜ける。岩肌が湿潤している。野
草ホトトギスの自生地を示す標識がある。
 山崎を二回左に曲がった先に立派な寺院がある。成田山の御札が奉られている。トイレ、講堂、炊事場、道
祖神堂、弁財天堂、七夕堂などがある。手水舎の水を含め各所の蛇口は水が出る。桜の古木もあり、初秋に
は講堂前の芝生はツルボの花に覆われる。ここまで舗装道路で駐車場も奥にある。
 この不動尊が岩出館跡で二又の小堂附近が岩出城跡と聞いたがそれらしい遺構はわからなかった。

L 飯籠塚古墳入口の看板

L飯籠塚古墳 (前方 ○80)
 俵田駅→0.05←新国道交差点→0.10←岩田橋南交差点→0.05←案内標識
→0.05←前方看板

 俵田駅から西へ進み、新国道交差点、岩田橋南交差点へ進み、更に直進すると坂を上って丁字路になり、左
折する。左手に丁字路があって道路が僅かに幅を持ったところ、右手に飯籠塚(いごづか)古墳を案内する標
識がある。市の教育委員会の看板だ。
 民家の軒先をかわす小路に入ると直ぐ左手に再び案内標があり、細い山径に入る。この山径の傾斜が緩く
なると「前方」を案内する標識があって、右後ろに分岐する。梅林の奥に看板があり、ここが前方後円墳飯籠
塚だと解説される。長さ100メートル前方幅35メートル後円幅45メートルの柄鏡型で3世紀のものだそうだ。
 先ほどの分岐を直進すると右手が盛り上がっている。孟宗竹の積み重ねもある。径が右手にカーブすると後
円部と●102のピークに挟まれた平地になる。下生えも多くなり、踏み跡は消える。
 この●102を含んだ広い範囲が岩出城跡の範囲とも聞いたが、よくわからない。又、周辺には小さな円墳が
複数あるということだった。                房総丘陵